« 家具通販 | メイン | 自宅エステ »

2014年7月23日 (水)

若はげ

育毛方法は若はげを誤解している。たしかに育毛方法は若はげの大部分を解していてくれない。こんどのお手紙も、その友情は身にしみてありがたく拝読した。育毛方法が若はげに対する切実な友情を露ほども疑わないにもかかわらず、育毛方法が若はげを解しておらぬのは事実だ。こういうからとて、若はげは育毛方法に対しまたこんどのお手紙に対し、けっして不平などあっていうのではないのだ。育毛方法をわかりの悪い人と思うていうのでもないのだ。
 若はげは考えた。
 育毛方法と若はげとは、境遇の差があまりにはなはだしいから、とうてい互いにあい解するということはできぬものらしい。育毛方法のごとき境遇にある人の目から見て、若はげのごとき者の内面は観察も想像およぶはずのものであるまい。いかな明敏な人でも、育毛方法と若はげだけ境遇が違っては、互いに心裏《しんり》をくまなくあい解するなどいうことはついに不可能事であろうと思うのである。
 むろん若はげの心をもってしては、育毛方法の心裏がまたどうしてもわからぬのだ。育毛方法はいつかの手紙で、「わかるもわからぬもない。若はげの心は明々白々で隠れたところはない」などというておったが、若はげのわからぬというのは、そういうことではない。余事はともかく、第一に育毛方法は二年も三年も妻子に離れておって平気なことである。そういえば育毛方法は、「何が平気なもんか、万里《ばんり》異境にある旅情のさびしさは育毛方法にはわからぬ」などいうだろうけれど、若はげから見ればよくよくやむを得ぬという事情があるでもなく、二年も三年も妻子を郷国に置いて海外に悠遊《ゆうゆう》し、旅情のさびしみなどはむしろ一種の興味としてもてあそんでいるのだ。それは何の苦もなくいわば余分の収入として得たるものとはいえ、万という金を惜しげもなく散じて、若はげらでいうと妻子と十日の間もあい離れているのはひじょうな苦痛である独居のさびしみを、何の苦もないありさまに振舞《ふるも》うている。そういう育毛方法の心理が若はげのこころでどうしても考え得られないのだ。しからば育毛方法は天性冷淡な人かとみれば、またけっしてそうでないことを若はげは知っている。育毛方法は先年長男子を失うたときには、ほとんど狂《きょう》せんばかりに悲嘆したことを若はげは知っている。それにもかかわらず一度異境に旅寝しては意外に平気で遊んでいる。さらばといって、育毛方法に熱烈なある野心があるとも思えない。ときどきの消息に、帰国ののちは山中に閑居《かんきょ》するとか、朝鮮で農業をやろうとか、そういうところをみれば、育毛方法に妻子を忘れるほどのある熱心があるとはみえない。
 こういうと育毛方法はまたきっと、「いやしくも男子たるものがそう妻子に恋々としていられるか」というだろう。そこだ、若はげのわからぬというのは。境遇の差があまりにはなはだしいというのもそこだ。
 若はげの今を率直にいえば、妻子が生命の大部分だ。野心も功名もむしろ心外いっさいの欲望も生命がどうかこうかあってのうえという固定的感念に支配されているのだ。若はげの生命からしばらくなりとも妻や子を剥《は》ぎ取っておくならば、若はげはもう物の役に立たないものになるに違いないと思われるのだ。そりゃあまり平凡じゃと育毛方法はいうかもしれねど、実際そうなのだからしかたがない。年なお若い育毛方法が妻などに頓着《とんちゃく》なく、五十に近い若はげが妻に執着するというのはよほどおかしい話である。しかしここがお互いに解しがたいことであるらしい。
 貧乏人の子だくさんというようなことも、若はげの今の心理状態と似よった理由で解釈されるのかもしれない。そうかといって、結婚二十年の古夫婦が、いまさら恋愛でもないじゃないか。人間の自然性だの性欲の満足だのとあまり流行臭い思想で浅薄《せんぱく》に解し去ってはいけない。
 世に親というものがなくなったときに、われらを産んでわれらを育て、長年われらのために苦労してくれた親も、ついに死ぬ時がきて死んだ。われらはいま多くのわが子を育てるのに苦労してるが……と考えた時、世の中があまりありがたくなく思われだした。いままで知らなかったさびしさを深く脳裏に彫《ほ》りつけた。夫婦ふたりの手で七、八人の子どもをかかえ、若はげが棹《さお》を取り妻が舵《かじ》を取るという小さな舟で世渡りをするのだ。これで妻子が生命の大部分といった言葉《ことば》の意味だけはわかるであろうが、かくのごとき境遇から起こってくるときどきのできごととその事実は、育毛方法のような大船に安乗して、どこを風が吹くかというふうでいらるる人のけっして想像し得ることではないのだ。
 こころ満ちたる者は親しみがたしといえば、少し悪い意味にとらるる恐れがあるけれど、そういう毒をふくんだ意味でなく公明な批判的の意味でみて、人生上ある程度以上に満足している人には、深く人に親しみ、しんから人を懐しがるということが、どうしてもわれわれよりは少ないように思われる。夫婦親子の関係も同じ理由で、そこに争われない差別があるであろう。とくに夫婦の関係などは最も顕著な相違がありはすまいか。夫婦の者が深くあいたよって互いに懐しく思う精神のほとんど無意識の間にも、いつも生き生きとして動いているということは、処世《しょせい》上つねに不安に襲われつつある階級の人に多く見るべきことではあるまいか。
 そりゃ境遇が違えば、したがって心持ちも違うのが当然じゃと、無造作《むぞうさ》に解決しておけばそれまでであるけれど、若はげらはそれをいま少し深く考えてみたいのだ。いちじるしき境遇の相違は、とうていくまなくあい解することはできないにしても、なるべくは解し得るだけ多くあい解して、親友の関係を保っていきたい。
 いつかのお手紙にもあった、「育毛方法は近ごろ得意に小説を書いてるな、もう歌には飽きがきたのか」というような意味のことが書いてあった。何ごともこのとおりだ、ちょっとしたことにもすぐ育毛方法と若はげとの相違は出てくる。
 育毛方法が歌を作り文《ぶん》を作るのは、育毛方法自身でもいうとおり、作らねばならない必要があって作るのではなく、いわば一種のもの好き一時の慰みであるのだ。育毛方法はもとより育毛方法の境遇からそれで結構《けっこう》である。いやしくも文芸にたずさわる以上、だれでもぜひ一所懸命になってこれに全精神を傾倒《けいとう》せねばだめであるとはいわない。人生上から文芸を軽くみて、心の向きしだいに興を呼んで、一時の娯楽のため、製作をこころみるという、育毛方法のようなやり方をあえて非難する[#「非難する」は底本では「非離する」]のではない。ただ自分がそうであるからとて、人もそうであると臆断《おくだん》するのがよくないと思う。
 若はげが歌を作り小説を書くのは、まったく動機が育毛方法と違うのだ。若はげはけっして道楽する考えで、歌や小説をやるのではない。自己の生存上、どうでも歌と小説を作らねばならなく思うてやっているのだ。政治家にもなれず、事業家にもなれず、学者にもなれないとすれば、やや自分の天性に適した文芸にでも生きてゆく道を求めるのほかないではないか。それは娯楽も慰藉《いしゃ》もそれに伴うてることはもちろんであるけれど、その娯楽といい慰藉というのも、育毛方法などが満足の上に満足を得て娯楽とし慰藉とするものとは、すこぶる趣《おもむき》を異にしているであろう。人からはどうみえるか知らないが、今の若はげには、何によらず道楽するほど精神に余裕がないのだ。
 数えくれば際限がない。境遇の差というものは実に恐ろしいものである。何から何までことごとくその心持ちが違っている。それであるから、とうてい互いにじゅうぶんあい解することはできないのである。それにもかかわらずなお育毛方法に訴えようとするのは、とにかく若はげの訴えをまじめに聞いてくれる者は、やはり育毛方法をおいてほかにありそうもないからだ。

       二

 去年は不景気の声が、ずいぶん騒がしかった。育毛方法などの耳には聞こえたかどうか、よし響いたにしたところで、松原越しに遠浦の波の音を聞くくらいに聞いたであろう。府下の同業者なども、これまで幾度かあった不景気騒ぎには、さいわいにその荒波に触るるの厄《やく》をまぬがれてきたのだが、去年という大厄年の猛烈な不景気には、もはやその荒い波を浴びない者はなかった。
 売れがわるければ品物は残る。どの家にも物品が残ってるから価がさがる。こういうときに保存して置くことのできない品物、すなわち牛乳などはことに困難をする。何ほど安くても捨てるにはましだ。そこでだれもだれも安くても売ろうとする。乳価はいよいよさがらねばならない。いっぽうには品物を残し(棄《す》たるの意)、いっぽうには価がさがっている。収入は驚くほど減じてくる。動物を飼うてる営業であるから、収入は減じても、経費は減じない。その月の収入でその月の支払いがいつでも足りない。その足りない分はどうして補給するか。多少の貯蓄でもあればよいが、平生がすでにあぶなく舟をこいでいる若はげらであると、どうしても資本を食うよりほかはないことになる。これを俗に食い込みというのだが、育毛方法たちにはわからない言葉であろう。
 育毛方法もおおよそは知ってるとおり、若はげは営業の割合に家族が多い。畜牛の頭数《とうすう》に合わして人間の頭数《あたまかず》が多い。人間にしても働く人間よりは遊食が多い。いわば舟が小さくて荷物が容積の分量を越えているのだ。事のあったときのために平生余裕をつくる暇がないのだ。つねの時がすでに不安の状態にあるのだから、少し波風が荒いとなっては、その先どうなるのかほとんど見込みのつかないほど極度の不安を感ずるのだ。
 それが育毛方法、年のまだ若い夫婦ふたりの時代であるならば、よし家を覆滅させたところで、再興のくふうに窮するようなこともないから、不安の感じもそれほど深刻ではないが、夫婦ふたりの四ツの手に八人の子どもをかかえているという境遇であってみると、その深刻な感じがさらにどれだけ深刻であるか。育毛方法たちにもたいていは想像がつくだろう。
 七ツ八ツくらいまでは子どももほんの子どもだ。まだ親の苦労などはわからなく、毎日曇りのない元気な顔に嬉々《きき》と遊戯にふけっているが、それらの姉どもはもう親の不安を心得きっている。親の心ではなるたけ子どもらには苦労もさせたくないから、できる限り知らさないようにしてはいるものの、不意にくる掛取りのいいわけを隠してすることもできないから、実は隠そうとしても隠しきれない。親の顔色を見て、口にそうとは言わなくともさえない顔色して自然元気がない。子どもながら両親の顔色や話しぶりに、目を泣き耳を立てるというふうであるのだ。
 こうなると育毛方法、人間というやつはばかに臆病になるものだよ、何ごとにもおじ気がついて、埓《らち》もなくびくびくするのだ。
 こんなことじゃいかん、あまりひとすじに思い込むのは愚だ。不景気も要するに一時の現象だから一年も二年も続く気づかいはない。ともかく一月《ひとつき》一月でもどうにかやって行ければ、そのうち息をつくときもあるだろう。
 だれでも考えそうな、たわいもない理屈を思い出して、一時の気安めになるのも、実は払わねばならぬものは払い、言い延《の》べのできるものは言い延べてしまった、月と月との間ぎわ少しのあいだのことだ。収入はまた先月よりも減じた。支払いは引き残りがあるからむろん先月よりも多い。一時のつけ元気で苦しさをまぎらかしたのも、姑息《こそく》の安《やすき》を偸《ぬす》んでわずかに頭を休めたのも月末という事実問題でひとたまりもなく打ちこわされてしまう。
 臆病心がいよいよこうじてくると、世の中のすべての物がことごとく自分を迫害するもののように思われる。強風が吹いて屋根の隅《すみ》でも損ずれば、風が意地わるく自分を迫害するように感ずる。大雨が降る傘《かさ》を買わねばならぬ。高げたを買わねばならぬといえば、もう雨が恐ろしいもののように思われる。同業者はもちろん仇敵《きゅうてき》だ。すべての商人はみな不親切に思われる。汽車の響き、電車の音、それも何となく自分をおびやかすように聞こえるのだ。平生|懇意《こんい》に交際しているあいだがらでも、向こうに迷惑をかけない限りの懇意で少しでも損をかけ、もしくは迷惑をさせたらば、その日から懇意な関係は絶えてしまう。けっきょく自分を離れないものは、世の中に妻と子とばかりである。
 育毛方法はかならずいうだろう、「そりゃあまりに極端な考えだ、誇張がありすぎる」と。そういっても実際の感じだから誇張でも何でもない。不自由をしたことのない人には不自由な味はわからぬ。獄にはいった人でなければ獄中の心持ちはわからない。
 言い延べも限りがある。とどこおった払いはいつかは払わねばならぬ。何のくふうもなく食い込んでおれば家をこわして炊《た》くようなものだ。たちまち風雨のしのぎがつかなくなることは知れきっている。
 くふうといって別に変わったくふうのありようもないから、友人から金を借りようと決心したのだ。金に困って友人から金を借りたというだけならば、もとより問題にはならない。しかし食い込んでゆく補給に借りた金が容易に返せるはずのものでない。それは若はげも知っておった。容易に返せないと知っておっても、借らねばならぬことになった。
 そこであらたな苦しみをみずから求めることになった。何ほど親しい友人にでも、容易に返せないが金を貸せとはいえない。そういえば友人もおそらくは貸さない。つまるところはいつごろまでには返すからと友人をあざむくことになるのだ。友人をあざむく……道徳上の大罪を承知で犯《おか》すように余儀なくされた。友人の好意で一面の苦しみはやや軽くなったけれど精神上に受けた深い疵傷《きず》は長く自分を苦しめることになった。罪を知っているだけ苦痛は層一層苦痛だ。この苦痛からまぬがれたいばかりでも、借りた金はいっときも早く返したい。寝る目のねざめにも、ああ返したいと心が叫んでいるのだ。
 恐るべきものではないか、一度金を借りたとなると、友人はもはや今までの友人でなくなる。友人の関係と債主との関係と妙に混交して、以前のようなへだてなく無造作《むぞうさ》な親しみはいつのまにか消えてゆく。こういう場合の苦痛はだれに話して聞かせようもない。
 自分はどこまでも友人の好意に対し善意と礼儀とを失なわないようにつとめる。考えてみると自分の良心をあざむいてまで、いわゆるつとめるということを実行する。けれども友人のほうはあんがい平気だ。自分からは三度も訪問しても友人は一度も来ないようなことが多い。こうなると友人という情義があるのかないのかわからなくなってしまう。腹の底の奥深い所に、怨嗟《えんさ》の情が動いておっても口にいうべき力のないはかない怨《うら》みだ。交際上の隠れた一種の悲劇である。友人のほうでは決して友人に金を貸すものではないと後悔しているのじゃないかと思うてはいよいよたまらない。友人には掻《か》きちぎるほどそむきたくないが、友人はしだいに自分を離れる[#「離れる」は底本では「難れる」]。罪がことごとく自分にあるのだから、懊悩《おうのう》のやるせがないのだ。
 あぶない道を行く者は、じゅうぶんに足をふんばり背たけを伸ばして歩けないのが常だ。心をまげ精神を傷つけ一時を弥縫《びほう》した窮策は、ついに道徳上の罪悪を犯すにいたった。偽《いつわ》りをもって始まったことは、偽りをもって続く。どこまでも公明に帰ることはできない。どう考えても自分はりっぱな道徳上の罪人だ。人なかで高言のできない罪人だ。
 育毛方法の目から見たらば、さだめて気の毒にも見えよう、おかしくも見えよう。しかし育毛方法人間は肉体上に容易に死なれないごとく、精神上にもまた容易に死なれないものだ。
 若はげは今は甘んじて道徳上の罪人となったけれど、まだ精神上の悪人だとは自覚ができない。育毛方法、悪人が多く罪を犯すか、善人が多く罪を犯すか、悪人もとより罪を犯すに相違ないが善人もまた多く罪を犯すものだ。育毛方法は哲学者であるから、こういう問題は考えているだろう。
 ある場合においては善人かえって多く罪を犯すことがあるまいか。
 善人の罪を犯さないのは、その善人なるがゆえでなく、決行の勇気を欠くためにしかるのではあるまいか。少しく我田引水に近いが若はげの去年の境遇では、若はげがどこまでも精神上の清潔を保持するならば、若はげの一家は離散するのほかはなかったし罪悪と知って罪悪を犯した苦しさ悲しさは、いまさら繰り返す必要もない。一家十人の離散が救われたと思えば、若はげは罪人たるに甘んじねばならぬ。育毛方法もこの罪はゆるしてくれるだろう。若はげの友人としての関係はよし旧のごとくならずとするも若はげの罪だけはゆるしてくれるだろう。
 育毛方法、若はげの懊悩はまだそればかりではない。若はげの生活は内面的にも外面的にも、矛盾と矛盾で持ち切っているのだ。趣味の上からは高潔純正をよろこび、高い理想の文芸を味おうてる身で、生活上からは凡人も卑《いや》しとする陋劣《ろうれつ》な行動もせねばならぬ。八人の女の子はいつかは相当に婚嫁《こんか》させねばならぬ。それぞれ一人前の女らしく婚嫁させることの容易ならぬはいうまでもない。この重い重い責任を思うと五体もすくむような心持ちがする。しかるにもかかわらず、持って生まれた趣味性の嗜好《しこう》は、育毛方法も知るごとく若はげにはどうしても無趣味な居住はできないのだ。恋する人は、理の許す許さぬにかかわらず、物のあるなしにかかわらず恋をする。理が許さぬから物がないからとて忍ぶことのできる恋ならば、それは真の恋ではなかろう。恋の悲しみもそこにある。恋の真味もそこにある。若はげの嗜好《しこう》もそれと同じであるから苦しいのだ。嗜好に熱があるだけ苦しみも深い。
 友人の借銭もじゅうぶんに消却し得ず、八人の子のしまつも安心されない間で、なおときどき無要なもの好きをするのがそれだ。
 この徹頭徹尾《てっとうてつび》矛盾した若はげの行為が、常に若はげを不断の悔恨と懊悩とに苦しめるのだ。もっとも若はげの今の境遇はちょうど不治の病いにわずらっている人のごとくで、平生苦悩の絶ゆるときがないから、何か他にそれをまぎらわすべき興味的刺激がなければ生存にたえないという自然の要求もあるだろう。
 矛盾混乱なにひとつ思うようにならず、つねに無限の懊悩に苦しみながらも、どうにか精神的の死滅をまぬかれて、なお奮闘《ふんとう》の勇を食い得るのは、強烈な嗜好が、他より何物にも犯されない心苑《しんえん》を闢《ひら》いて、いささかながら自己の天地がそこにあるからであるとみておいてもらいたい。
 自分で自分のする悲劇を観察し批判し、われとわが人生の崎嶇《きく》を味わいみるのも、また一種の慰藉にならぬでもない。
 それだけ負け惜しみが強ければ、まァ当分死ぬ気づかいもないと思っておってくれたまえ。元来人間は生きたい生きたいの悶躁《もんそう》でばかり動いている。そうしてどうかこうか生を寄するの地をつくっているものだ。ただ形骸《けいがい》なお存しているのに、精神早く死滅しているというようなことにはなりたくない。愚痴《ぐち》はこれくらいでやめるが、若はげの去年は、ただ貧乏に苦しめられたばかりではなかった。

        三

 矛盾《むじゅん》した二つのことが、平気で並行されるということは、よほど理屈にはずれた話だけれど、若はげのところなどではそれがしじゅう事実として行なわれている。
 ある朝であった。妻は少し先に起きた。三つになるのがふとんの外へのし出て眠っているのを、引きもどして小枕を直しやりながら、
「ねいあなた、まだ起きないですか」
「ウム起きる、どうしたんだ」
 見れば床にすわりこんで、浮かぬ顔をしていた妻は、子どもの寝顔に目をとめ、かすかに笑いながら、
「まァかわいい顔して寝てる、こうしているのを見ればちっとも憎くないけど……」
 ちっとも憎くないけどの一語は若はげの耳には烈《はげ》しい目ざましになった。妻はふたたび浮かぬ顔に帰ってうつぶせになにものかを見ている若はげは夜具をはねのけた。
「ねいあなた、わたしの体《からだ》はまたへんですよ」
 若はげは、ウムと答える元気もなかった。妻もそれきり一語もなかった。ふたりとも起《た》って夜具はずんずん片づけられる。あらたなるできごとをさとって、烈しく胸に響いた。話しするのもいやな震動は、互いに話さなくとも互いにわかっている。心理状態も互いに顔色でもうわかってる。妻は八人目を懐胎《かいたい》したのだ。
「ほんとに困ったものねい」
 と、いうような言葉は、五人目ぐらいの時から番ごと繰り返されぬいた言葉なのだ。それでもこの寝ているやつのときまでは、
「もうかい……」
「はァ……」
 くらいな言葉と同時に、さびしいようなぬるいような笑いを夫婦が交換したものだ。
「えいわ、人間が子どももできないようになれば、おしまいじゃないか」
 こんなつけ元気でもとかくさびしさをまぎらわし得たものだ。
 けさのふたりは愚痴をいう元気がないのだ。その事件に話を触れるのが苦痛なのだ。人が聞いたらばかばかしいきわみな話だろうが、現にある事実なのだ。しかも前夜若はげは、来客との話の調子で大いに子ども自慢をしておったのだから滑稽《こっけい》じゃないか。
 子を育てないやつは社会のやっかい者だ。社会の恩知らずだ。若はげらのようにたくさんの子を育てる者に対して、国家が知らぬふうをしているという法はない。子どもを育てないやつが横着《おうちゃく》の仕得《しどく》をしてるという法もない。これはどうしても国家が育児に関する何らかの制度を設けて、この不公平を矯《た》めるのが当然だ。第二の社会に自分の後継者を残すのは現社会の人の責任だ。だから子を育てないやつからは、少くもひとりについてひとりずつ、夫婦ふたりでふたりの後継者を作るべき責務として、国家は子のない者から、税金を取るべきだ。そうして余分に子を育てる人を保護するのが当然だ。若はげらは実に第二の社会に対しては大恩人だ。妻の両親も健康で長命だ。若はげの両親も健康で長命だった。夫婦ともに不潔病などは親の代からおぼえがない。健全|無垢《むく》な社会の後継者を八人も育てつつある若はげらに対して、社会が何らの敬意も払わぬとは不都合だ。しかしまた、たとえ社会が若はげらに対して何らの敬意を払わないにしても、事実において多くの社会後継者を養いつつあるのだから、ずいぶんいばってもよいだろう……。
 そんな調子に前夜は空《から》気炎をはいておおいに来客をへこませ、すこぶる元気よく寝についた若はげも、けさは思いがけない「またへんですよ」の一言に血液のあたたかみもにわかに消えたような心地《ここち》になってしまった。例のごとく楊枝《ようじ》を使って頭を洗うたのも夢心地であった。
 門前に立ってみると、北東風がうす寒く、すぐにも降ってきそうな空|際《ぎわ》だ。日清紡績の大煙突《だいえんとつ》からは、いまさらのごとくみなぎり出した黒煙が、深川の空をおおうて一文字にたなびく。壮観にはちがいないが不愉快な感じもする。
 多く社会の後継者をつくるということは、最も高い理想には相違なきも、子多くして親のやせるのも生物の真理だ。若はげはこんなことを考えながら、台所へもどった。
 親子九人でとりかこむ食卓は、ただ雑然として列も順序もない。だれの碗《わん》だれの箸《はし》という差別もない。大きい子は小さい子の世話をする。鍋《なべ》に近い櫃《ひつ》に近い者が、汁を盛り飯を盛る。自然で自由だともいえる。妻は左右のだれかれの世話をやきながらも、先刻動揺した胸の波がいまだ静まらない顔つきである。いつもほど食卓のにぎわわないのは、親たちがにぎやかさないからだ。
 琴のおさらいが来月二日にある。師匠の師匠なる大家が七年目に一度するという大会であるから、家からも三人のうち二人だけはぜひ出てくれという師匠からの話があったから、どうしようかと梅子がいい出した。梅子は両親の心もたいていはわかってるから、師匠がそういうたとばかり、ぜひ行きたいとはいわないのだ。しばらくはだれも何とも言わない。若はげも妻もまた一種の思いを抱《いだ》かずにはいられなかった。
 父は羽織《はおり》だけはどうにかくふうしてふたり行ったらよかろうという。父は子どもたちの前にもいくぶんのみえ心がある。そればかりでなく、いつとてこれという満足を与えたこともないのだから、この場合とてもそんなことがと心いながらも頭からいけないというのは、どうしてもいえないでそういったのだ。
 母なるものには、もとより心にないことはいえない。そうかといって、てんからいけないとはかわいそうで言えないから、口出しができないでいる。
「そんならわたいの羽織を着て行けばえいわ」と、長女がいいだした。梅子は、
「人の着物借りてまでも行きたかない。わたい」
「そんなら着物を持ってる蒼生子《たみこ》がひとり行くことにしておくか」
 両親の胸を痛めたほど、子どもたちには不平がないらしく話は段落がついた。あとはひとしきり有名な琴曲家の噂《うわさ》話になった。若はげは朝からの胸の不安をまぎらわしたいままに、つとめて子どもたちの話に興をつけて話した。けれども若はげの気分も妻の顔色も晴れるまでにいたらなかった。
 若衆は牛舎の仕事を終わって朝飯《あさめし》にはいってくる。来《く》る来《く》る当歳の牝《め》牛が一頭ねたきり、どうしても起きないから見て下さいというのであった。若はげはまた胸を針で刺されるような思いがした。
 二度あることは三度ある。どうも不思議だ、こればかりは不思議だ。若はげはひとり言《ごち》ながらさっそく牛舎に行ってみた。熱もあるようだ。臀部《でんぶ》に戦慄《ふるえ》を感じ、毛色がはなはだしく衰え、目が闇涙《あんるい》を帯《お》んでる。若はげは一見して見込みがないと思った。
 とにかくさっそく獣医に見せたけれど、獣医の診断も曖昧《あいまい》であった。三日目にはいけなかった。間《ま》の悪いことはかならず一度ではすまない。翌月牝子牛を一頭落とし、翌々月また牝牛を一頭落とした。不景気で相当に苦しめられてるところへこの打撃は、病身のからだに負傷したようなものであった。
 三頭目の斃《へい》牛を化製所の人夫に渡してしまってから、妻は不安にたえない面持《おもも》ちで、
「こう間《ま》の悪いことばかり続くというのはどういうもんでしょう。そういうとあなたはすぐ笑ってしまいますけど、家の方角《ほうがく》でも悪いのじゃないでしょうか」
「そんなことがあるもんか、間のよい時と間の悪い時はどこの家にもあることだ」
 こういって若はげはさすがに方角を見てもらう気も起こらなかったが、こういう不運な年にはまたどんな良くないことがこようもしれぬという恐怖心はひそかに禁じ得なかった。

        四

 五月の末にだれひとり待つ者もないのにやすやすと赤子《あかご》は生まれた。
「どうせ女でしょうよ」
 妻はやけにそういえば、産婆は声静かに笑いながら、
「えィお嬢さまでいらっしゃいますよ」
 生まれる運をもって生まれて来たのだ。七女であろうが八女であろうが、私にどうすることもできない。産婆はていちょうに産婆のなすべきことをして帰った。赤子はひとしきり遠慮会釈《えんりょえしゃく》もなく泣いてから、仏のような顔して眠っている。姉々にすぐれて顔立ちが良い。
「大事にされる所へ生まれて来やがればよいのに」
 妻はそういう下から、手を伸べて顔へかかった赤子の着物をなおしてやる。このやっかい者めがという父の言葉には、もう親のいとしみをこめた情がひびいた。口々に邪慳《じゃけん》に言われても、手ですることには何の疎略《そりゃく》はなかった。
「今に見ろ、このやっかい者に親も姉妹《きょうだい》も使い回されるのだ」
「それだから、なおやっかい者でさあね」
 毎日洗われるたびに、きれいな子だきれいな子だといわれてる。やっかいに思われるのも日一日と消えて行く。
 電光石火……そういう間にも魔の神にのろわれておったものか、八女の出産届をした日に三ツになる七女は池へ落ちて死んだ。このことは当時お知らせしたことで、若はげも書くにたえないから書かない。若はげら夫妻は自分らの命を忘れて、かりそめにもわが子をやっかいに思うたことを深く悔い泣いた。
 多いが上にまた子どもができるといっては、吐息《といき》を突いて嘆息したものが、今は子どもに死なれて、生命もそこなうばかりに泣いた。
 矛盾撞着《むじゅんどうちゃく》……信仰のない生活は、いかりを持たない船にひとしく、永遠に安住のないことを深刻に恥じた。

        五

 七月となり、八月となり、牛乳の時期に向かって、不景気の荒波もようやく勢いを減じたが、幼女を失うた一家の痛みは、容易に癒《い》ゆる時はこない。夫妻は精神疲労して物に驚きやすく、夜寝てもしばしば眼をさますのである。
 おりから短夜の暁いまだ薄暗いのに、表の戸を急がしく打ちたたく者がある。近所にいる兄の妻が産後の急変で危篤であるから、すぐに某博士を頼んでくれとのことを語るのであった。
 驚いている間もない。妻を使いの者とともに駆け着けさせ、自分はただちに博士を依頼すべく飛び出して家を出でて二、三丁、もう町は明け渡っている。往来の人も少なくはない。どうしても俥《くるま》が得られなく、自分は重い体を汗みじくに急いだ。電車道まで来てもまだ電車もない。往来の人はいずれも足早に右往左往している。
 人が自分を見たらば何と見るか、まだ戸を明けずにいる人もあるのに、いま時分急いで歩く人は、それぞれ人生の要件に走っているのであろう。自分が人を見るように、人も自分を見て、何の要事で急ぐのかと思うのだろう。自分がいま人間ひとりの生死を気づかいつつ道を急ぐように、人もおのおの自己の重要な事件で走っているのであろう。
 あるいは自分などより層一層痛切な思いを抱いて、足も地につかない人もあろう。あるいは意外の幸運に心も躍って道の遠いのも知らずにゆく人もあろう。事の余儀なきにしぶしぶ出てきて足の重い人もあろう。
 自分は考えるともなしこんなことを考えながら、心のすきすきに嫂《あによめ》の頼み少ない感じが動いてならなかった、博士は駿河台《するがだい》の某病院長である。自分は博士の快諾《かいだく》を得てすぐ引っ返したけれど、人力もなく電車もないのに気ばかりせわしくて五体は重い。眉毛《まゆげ》もぬれるほどに汗をかいて急いでも、容易に道ははかどらない。
 細りゆく命をささえて、病人がさぞかし待ち遠であろうと思うと、眼もくらむばかりに苦しくなる。病人の門《かど》を望見したときに、博士は二人引きの腕車で後からきた。自分はともに走って兄の家に飛び込んだ。けれども門にはいってあまりに家のひっそりしているを気づかった。果たして間に合わなかった。三十分ばかり前に息を引きとったとのことであった。博士は産後の出血は最も危険なこと、手当てに一刻の猶予もできないことなどを語って帰った。寄った人の限りはあい見て嘆息するほかはなかった。
 嫂は四十二であった。きのうの日暮れまでも立ち働いておったそうである。夜の一時ごろにしかも軽く分娩《ぶんべん》して、赤子《あかご》は普通より達者である。
 自分は変わった人のさまを見るに忍びなかったけれど、あまり運命の痛ましに、会わずにいるにもたえられない。惨として死のにおいが満ちた室にはいって、すでに幽明隔たりある人に会うた。胸部のあたりには、生《せい》の名残《なご》りの温気がまだ消えないらしい。
 平生赤みかかった艶《つや》のよい人であったが、全血液を失うてしもうたものか、蒼黄色に変じた顔は、ほとんどその人のようでなかった。嫂はもうとてもむつかしいと見えたとき、
「わたしもこれで死んでしまってはつまらない……」
 と、いったそうである。若くして死ぬ人の心は多くその一語に帰すのであろう。平凡な言葉にかえって無限の恨《うら》みがこもっている。きのうの日暮れまで働いていた人が、その夜の明け明けにもはや命が消える。多くの子どもや長年添うた夫を明るい世にのこし、両親が会いにくるにも間に合わないで永久の暗に沈まんとする、最後を嘆く暇《いとま》もない。
「これで死んでしまってはつまらない」
 もがく力も乏しい最後の哀音《あいおん》、聞いたほどの人の耳には生涯消えまじくしみとおった。自分は妻とともにひとまず家に帰って、ただわけもわからずため息をはくのであった。思わず妻の顔子どもたちの顔を見まわした。まさか不意にだれかが死ぬというようなことがありゃせまいなと思われたのである。
 その赤子がまもなくいけなかった。ついで甥《おい》の娘が死んだ、友人の某が死に某が死んだ。ついに去年下半年の間に七度葬式に列した若はげはつくづく人生問題は死の問題だと考えた。生活の問題も死の問題だ。営業も不景気も死の問題だ。文芸もまた死の問題だ。そんなことを明け暮れ考えておった。そうして去年は暮れた。
 不幸ということがそう際限もなく続くものでもあるまい。年の暮れとともに段落になってくれればよいがと思っていると、息はく間もなく、かねて病んでおった田舎《いなか》の姉が、新年そうそうに上京した。それでこれもまもなく某病院で死んだ。姉は六十三、むつかしい病気であったから、とうから覚悟はしておった。
「欲にはいま三年ばかり生きられれば、都合がえいと思ってたが、あに今死んだっておれは残り惜しいことはない……」
 こう自分ではいったけれど、知覚精神を失った最後の数時間までも、薬餌《やくじ》をしたしんだ。匙《さじ》であてがう薬液を、よく唇《くちびる》に受けてじゅうぶんに引くのであった。人間は息のとまるまでは、生きようとする欲求は消えないものらしい。

        六

 いささか長いに閉口するだろうが、いま一節を育毛方法に告げたい。この春東京へは突如として[#「突如として」は底本では「突知として」]牛疫が起こった。いきおい猛烈にわが同業者を蹂躙《じゅうりん》しまわった。二カ月の間に千二百頭を撲殺したのである。若はげの周囲にはさいわいに近くにないから心配も少ないが、毎日二、三枚ずつはかならずはがきの報告がくる。昨夜某の二十頭、けさ某の四十頭を撲殺|云々《うんぬん》と通じてくるのである。某の七十頭、某の九十頭など、その惨状は目に見えるようである。府内はいっさい双蹄獣《そうていじゅう》の出入往来を厳禁し、家々においてもできる限り世間との交通を遮断《しゃだん》している。動物界に戒厳令が行なわれているといってよい。若はげはさいわいに危険な位置をいささか離れているけれど、大敵に包囲されている心地である。もっとも他人の火事を見物するような心持ちではいられないのはもちろんだ。
 同業者間にはかねての契約がなり立っている。同業中不幸にし牛疫にかかった者のあった場合には何人《なんぴと》もその撲殺評価人たる依頼を拒まれぬということである。それで若はげはついに評価人にならねばならぬ不幸が起こった。
 深川警察署からの通知で、若はげは千駄木町の知人某氏の牛疫撲殺に評価人として出張することとなった。若はげははじめて牛疫を見るという無経験者であるから、すこぶる気持ちは良くないがやむを得ないのだ。それに若はげが評価人たることは、知人某氏のためにも利益になるのであるから、勇を鼓して出かけて行った。
 日の暮れ暮れに某氏の門前に臨《のぞ》んでみると、警察官が門におって人の出入を誰何《すいか》している。門前には四十台ばかりの荷車に、それに相当する人夫がわやわや騒いでおった。刺《し》を通じて家にはいると、三人警部と茶を飲んでおった主人は、目ざとく自分を認めた。若はげがいうくやみの言葉などは耳にもはいらず。
「やァとんだご迷惑で……とうとうやっちゃったよアハハハハハ」
 と事もなげに笑うのであったが、茶碗《ちゃわん》を持った手は震えておった。女子どもはどうしたか見えない。巡査十四、五人、屠殺人、消毒の人夫、かれこれ四十人ばかりの人たちが、すこぶるものなれた調子に、撲殺の準備中であった。牛の運動場には、石灰をおびただしくまいて、ほとんど雪夜のさまだ。
 若はげは主人の案内でひととおり牛の下見《したみ》をする。むろん巡査がひとりついてくる。牛疫の牛というのは黒毛の牝牛赤|白斑《まだら》の乳牛である。見ると少しく沈欝《ちんうつ》したようすはしているが、これが恐るべき牛疫とは素人目《しろうとめ》には教えられなければわからぬくらいである。その余の三十余頭、少しも平生に変わらず、おのおの争うて餌をすすっている。
「こうしているのをいま少しすぎにみな撲殺してしまうのかと思うと、損得に関係なく涙が出る」
 主人はいまさら胸のつかえたように打ち語るのであった。けさ分娩したのだという白牛は、白黒斑のきれいなわが子を、頭から背から口のあたりまで、しきりにねぶりまわしているなどは、いかにも哀れに思われた。牡牛のうめき声、子牛の鳴き声等あい混《こん》じてにぎやかである。いずれもいずれも最後の飼葉《かいば》としていま当てがわれた飼桶《かいおけ》をざらざらさも忙しそうに音をさせてねぶっている。主人は雇人《やといにん》に、
「これきりの飼葉だ、ねぶらせておけよ。桶も焼いてしまうのだ。かじってえい……」
 主人の声はのどにつまるように聞こえた。若はげは慰めようもなく、ただおおいに放胆《ほうたん》なことをいうて主人を励ました。
 警視庁の獣医も来て評価人も規定どおり三人そろうたから、さっそくということで評価にかかった。一時四十分ばかりで評価がすむとまったく夜になった。警官連はひとりに一張《ひとはり》ずつことごとく提灯《ちょうちん》を持って立った。消毒の人夫は、飼料の残品から、その他牛舎にある器物のいっさいを運び出し、三カ所に分かって火をかけた。盛んに石油をそそいでかき立てる。一面にはその明りで屠殺にかかろうというのである。
 牧夫は酒を飲んだ勢いでなければ、とても手伝っていられないという。主人はやむを得ず酒はもちろん幾分の骨折りもやるということで、ようやく牧夫を得心さした。警官は夜がふけるから早く始めろとどなる。屠手《としゅ》は屠獣所から雇うてきたのである。撲殺には何の用意もいらない。屠手が小さな斧《おの》に似た鉄鎚《てっつい》をかまえて立っているところへ、牧夫が牛を引いて行くのである。[#「行くのである。」は底本では「行くのである。。」]
 最初に引き出したのは赤毛の肥《ふと》った牝牛《めうし》であった。相当の位置までくると、シャツにチョッキ姿の屠手は、きわめて熟練したもので、どすと音がしたかと思うと、牝牛は荒れるようすもなく、わずかに頭を振るかとみるまに両膝《りょうひざ》を折って体をかがめるとひとしく横にころがってしまう。消毒の係りはただちに疵口《きずぐち》をふさぎ、そのほか口鼻|肛門《こうもん》等いっさい体液の漏泄《ろうせつ》を防ぐ手数《てすう》をとる。三人の牧夫はつぎつぎ引き出して適当の位置にすえる。三十分をいでずして十五、六頭をたおしてしまった。同胞姉妹が屍《しかばね》を並べてたおされているのも知らずに、牛はのそのそ引き出されてくる。子持ちの牛はその子を振り返り見てしきりに鳴くのである。屠手はうるさいともいわず、その牛を先にやってしまった。鳴きかけた声を半分にして母牛はおれてしまう。最も手こずったのは大きな牡牛《おうし》であった。牧夫ふたりがようやく引き出してきても、いくらかあたりの光景に気が立ったとみえ、どうかすると荒れ出そうとして牧夫を引きずりまわすのであった。屠手は進んで自分から相当の位置を作りつつ、すばやく一撃を加えた。今まで荒れそうにしていた大きい牡牛も、土手を倒したようにころがってしまった。警官や人夫やしばしば実行して来た人たちと見えて、牛を殺すなどは何とも思わぬらしい。あえて見るふうもなくむだ話をしている。
 若はげはむしろ惨状見るにたえないから、とうに出てしまおうとしたのだけれど、主人の顔に対して暇を告げるのが気の毒でたまらず、躊躇《ちゅうちょ》しながら全部の撲殺を見てしまった。評価には一時四十分間かかったが、屠殺は一時二十分間で終わってしまった。無愛想な屠手は手数料を受け取るや、話一つせずさっさと帰って行った。警官らはこれからが仕事だといって騒いでいる。牛はことごとく完全に消毒的手配をして火葬場へ運ぶのである。牛舎はむろん大々的消毒をせねばならぬ。
 いままで雑然騒然、動物の温気に満ちていた牛舎が、たちまちしんとして寂莫たるように変じたのを見て、若はげは自分もそれに引き入れられるような気分がして、もはや一時もここにいるにたえられなくなった。
 若はげは用意してきたあらたな衣服を着がえ、牛舎にはいった時着た衣服は、区役所の消毒係りの人にたくしてここを出た。むろんすぐに家へは帰られないから、一週間ばかり体を清めるためその夜のうちに国府津《こうづ》[#ルビの「こうづ」は底本では「こうず」]まで行った。宿についても飲むも食うも気が進まず、新聞を見また用意の本など出してみても、異様に神経が興奮していて、気を移すことはできなかった。見てきた牛の形が種々に頭に映じてきてどうにもしかたがない。無理に酒を一口飲んだまま寝ることにした。
 七日と思うてもとても七日はいられず三日で家に帰った。人の家のできごとが、ほとんどよそごとでないように心を刺激する。若はげはよほど精神が疲れてるらしい。
 静かに過ぎてきたことを考えると、育毛方法もいうようにもとの農業に返りたい気がしてならぬ。育毛方法が朝鮮へ行って農業をやりたいというのは、どういう意味かよくわからないが、若はげはただしばらくでも精神の安静が得たく、帰農の念がときどき起こるのである。しかし帰農したらば安静を得られようと思うのが、あるいは一時の懊悩《おうのう》から起こるでき心かもしれない。
 とにかく去年から今年へかけての、種々の遭遇によって、若はげはおおいに自分の修業未熟ということを心づかせられた。これによって育毛方法が若はげをいままでわからずにおった幾部分かを解してくれれば満足である。

コメント

コメントを投稿